ヨーロッパの片隅で、家族と鳥一羽と暮らしています 。  世界遺産とポルノグラフィティとホンとオンガクが好き。    よければアシアトを残してくれればウレシイです☆       写真撮影:miyuとその家族


by miyu-sakura
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

タグ:世界遺産 ( 22 ) タグの人気記事

f0062821_2122079.jpg


皆様、あけましておめでとうございます~~。


2004年4月に渡欧して
まさか2009年までいようとは夢にも思いませんでしたが

なんとか無事に健康に(虫歯と少々メタボ気味ではあるが)
2009年を迎えることができました。


どうもありがとーございます。


ポルノの晴一さんもとうとうパパになるし(←泣き)
我が家のわんこも今年はパパにする予定です。
(花嫁さん大募集中☆)


はー、季節は移ろっていくわぁ。



で、

最初の写真は花のパリ。

2006年の1月1日0時のシャンゼリゼです。


花のパリのカウントダウンには

何かが、

何かが

何かが


絶対あるはずと信じてわざわざ繰り出したのに


ひょろろろっろ~~、って感じで
誰かがあげたしょっぼい花火があっただけで

片側4車線のシャンゼリゼ通りを埋め尽くす
おのぼりさんのフランス人やイラン人と

最近どこにでも見かける中国人の酔っ払いとに
ただただもみくちゃにされ

別になあんにもなかった私たち。



まあ、ただいま絶賛両想い中で
周り全部がピンク色がかっためろめろんなカップルだったら

「今、世界で一番ロマンチックな年越しでぇす☆」

って時差考えずに
メール一斉送信しちゃうと思うのだけど


生憎そーいうわけではなかったため
なんか肩すかし感あふれる年越しになってしまった。
f0062821_254331.jpg

(これは1月中旬まで続くラファイエットのイルミネーション、見ると意外に地味)



さて、
欧州での年越しも最後になる今年こそは、

とびきりワンダフォーな年越しにすべく
よさそうな街を物色してみたところ、

鬼太郎だったら、
間違いなく頭の毛が反応したであろう街を発見した。



それは

我が家から1100キロ離れた


オーストリーのパリ、

ウィーン☆



ご存じのとおり
毎年12月31日の夜には
ウィーンのオペラ座でウィーンフィルハーモニーの
ニューイヤコンサートがある。

世界一有名なニューイヤーコンサートのトリは、
ヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」。

たららん、たららん、たららっらっらんと、
振り返る年寄りの指揮者に合わせて
観客が手拍子を送るお約束が、もうたまらない。


毎年このコンサートがTVで中継されるたびに
必ずTVの前で正座して、

熱い手拍子を送らないと
新年って気がしないくらいだ。




でも、
このチケットがまたべらぼーに高くて

というより
優先客やツアーですべて埋まってしまい
庶民の我が家がまさか行けるはずもない。



しからば、

その時間に合わせて、
オペラ座の前で

手拍子をしようぢゃあないか、

と思い立った。



そう、ウィーンフィルと私の間には
壁一枚。

そうたったの壁一枚なの。

ほら、
聞こえる・・・聞こえるわ。

あのたららん、たららん・・・が。

そう、ここはひとつ
私の得意技である妄想力を駆使して

ひとり手拍子をやってみせるわ。



・・・とまあ、

私が1月1日0時に手拍子をしたい、
とたったそれだけの理由で

凍りつく1100キロを車でかっ飛ばして
行ってきました、花のウィーン。

その顛末はまた、次回・・・・
[PR]
by miyu-sakura | 2009-01-05 02:17 | ヨーロッパで暮らすということ
f0062821_3452996.jpg

(クロアチア、世界遺産プリトヴィッツェ湖群国立公園。この角度が一番キレイ)

さて、

スロベニアからクロアチアはプリトビッツェへ、
一夜の宿をとるべく車を飛ばしたわけですが


クロアチアは
1990年に始まった独立戦争の後
1992年に旧ユーゴスラビアから独立したばかりで、


日本でも人気が高まっているらしく
一番のトップシーズンの7.8月には、
ホテルも飛行機もびっくりするほど高い。


というか、
観光地としては脚光を浴びたのがここ最近のため
ホテルの数が絶対的に足りてないように思う。


世界遺産であり、
200平方キロメートルもの広さを誇る
プリトビッツェ湖群国立公園内には
たった2つしかホテルがなく(←トーゼン高額)


で、
私達が泊まったのは
SOBEと呼ばれるプライベートルーム。

日本で言う民宿です。


ほとんどが素泊まりで、中にはキッチン付きのものもありますが
ホテルに比べると随分と割安で泊まることができる。



この日は
午前中にブレッド湖で湖水浴、
午後はシュコツィヤン鍾乳洞と
見所がもりだくさんで

随分と行程が遅れてしまい、
地図で最短距離の行程をとり、混雑する首都ザグレブを避けて
高速から国道を行く道を選択したのだけど・・・



クロアチアは、独立戦争の時の爆撃により
高速道路等のインフラが破壊され
未だ高速道路を含め、幹線であるべき国道ですら建設中で


国立公園までの国道も
f0062821_4131254.jpg


最初こそアスファルトの舗装があったけれど

f0062821_4141997.jpg


いつのまにか、土ぼこりだらけの荒れた田舎道に。

f0062821_4155193.jpg


しかも、道路沿いに建つ建物には・・

f0062821_417577.jpg


散弾銃の跡。

f0062821_4181423.jpg


戦後15年を経て今なお、
打ち捨てられた家や銃弾の跡の残る家が、ずうっと続く。

f0062821_420584.jpg


国立公園近くのこの地域は
独立戦争時にセルビア人が多く占拠し住んだ地域だったらしく

クロアチア独立時に
逆にセルビア人虐殺のため攻撃されたという。


ほとんど人気のないこの地域で
どんどん、どんどん日が暮れて行って、
車で走っていても妙に心細く
(↑というかほとんどヤケ。BGMは奥田民生「さすらい」。妙にぴったり)

穴ぼこだらけ、土ぼこりだらけの田舎道のため
ほんの30キロかそこらの距離のはずが
通り抜けるのに1時間半以上もかかり

ようやく宿に着いた時には、
あたりはとっぷりと真っ暗、10時を回っていました・・・・。


さあ、
あしたは、ようやくプリトビッツェ国立公園です。

f0062821_4315887.jpg

(真夏のクロアチアは気温も37度近くまで上がります。グロッキーなわんこ)
[PR]
by miyu-sakura | 2008-10-07 04:22 | 今日の世界遺産
f0062821_2511847.jpg

(スロベニア 世界遺産シェコツィヤン鍾乳洞。写真が取れるのは出口のみ)

8月の旅行記が全然進まないうちに
なんと明日は10月。


随分涼しくなってきて、
最近、朝は大体5度とか6度とか。


ながあ~~い冬がもうすぐやってきます。


で、

8月の旅行記の続き。


ブレッド湖で湖水浴をした午後、
一路目指したのは


スロベニア唯一の世界遺産「シュコツィヤン鍾乳洞」


ブレッド湖から南に約60キロ。
クロアチアへ向かう途中での見学です。


最近、少々乱発ぎみの世界遺産ではありますが
ここの鍾乳洞は1987年に既に登録されている。


鍾乳洞の中にはこうもりをはじめたくさんの動物が生息していて
見学するには、必ずガイドツアーに参加しなくてはならない。

f0062821_2572082.jpg


ガイドツアーは長さ2キロの地下鍾乳洞を
約2時間程度かけて歩いてまわる。

真夏のスロベニアとはいえ、鍾乳洞内はかなり冷えるため
みんながっつり長袖持参です。

f0062821_25889.jpg


ガイドさんは、最初に
「スペイン語の人~~?」「ドイツ語の人~~?」「フランス語の人~~?」
などと聞いて挙手で答えた人の言語で説明をする。

この日は、スロベニア語、スペイン語、ドイツ語、英語だった。
彼女、なかなかの才女なのである。

f0062821_21504761.jpg



洞窟内は撮影禁止のため
全く写真がなくて申し訳ないのだけど

http://dheera.net/photos/thumb.php?q=europe/skocjan
写真のサイトはこれ。


内部は極力照明を落としていて、しかも
私達が通ったあとはご丁寧に照明を消していくので

暗闇恐怖症の私は
万が一置いて行かれたら、


多分、

いや、絶対

ちびる。



そんなわけでガイドさんから片時も離れず
常に列の先頭で回ったツアーだったのだけど、


いや、


これが、


なんとも、



凄かったのである。



もし、鍾乳洞が好きでたまらないという方がいらっしゃったら
ここは絶対行くべきです。



まず、ガイドさんたちと、どんどん地下にもぐっていくと
かすかに水の音が聞えてきて、

細い通路をくねくねと通っていたと思ったら
広さ約1.2ヘクタール、
天井まで100メートルはあろうかと思われる大広間にでたり、

「ルドルフ大聖堂」と呼ばれる石灰華が堆積してできた、
階段状の石灰段丘があったりと

なかなか見所が多く、いちいち感心していたのだけど



どんどん水音が大きくなってきたと思うと、



イキナリ、




地底に大河レカ川が現れるのである。




長さ34キロ、最後はアドリア海まで達するこのレカ川、

深さ160メートルの険しい渓谷と小さな滝を作り、
ごうごうと音を立てて流れているのである。



例えば、
どこか山に行って


深さ160メートルの渓谷と澄んだ大きな川の水、小さな滝を見たら
美しい~~っておもうでしょ。

それと全く同じ光景が
真っ暗な地底にあるわけです。


数年前までは
対岸までつり橋が架かっていて
スリル満点だったらしいのですが

現在は、
ひと1人が通れる細いながらも鉄製の橋が架かっています。


橋の途中から下を覗き込むと
けっこうな勢いで水が流れていてけっこう怖い。



このレカ川のすごいところは
このままずうううっと海まで地底を流れていくところ。


私達の目の前の川は、
そのまま暗闇のかなたへ続いていくのです。


これ、
なかなか圧巻です。



これは!!!

さすがってかんじの世界遺産でした。


次回はやっとクロアチアに入ります~~。 


f0062821_21521054.jpg

[PR]
by miyu-sakura | 2008-09-30 03:02 | 今日の世界遺産
f0062821_1835397.jpg

(市の中心を流れるザルツァッハ川。ザルツ、とはソルト。つまり塩の川)


さて旅行2日目。

経由地のザルツブルグです。



オーストリーの古都、ザルツブルグは
モーツアルトを生んだ音楽の都として名高く、


落ち着いた旧市街は世界遺産にも登録されていて


映画の名作、「サウンドオブミュージック」の
舞台にもなり、映画を見てから行けば感動上乗せ。


ミラベル宮殿では映画のフィナーレそのままに

「ド~~レ~~ミ~~♪」と

思わず歌ってしまうこと請け合いです。




実はザルツブルグ、何回か滞在したことがあるのだけど、
私がけっこう気に入っているのが、

旧市街の、たくさんの看板。

f0062821_552693.jpg



隣よりも大きく、キレイにと競い合った結果なのでしょうか。
豪華絢爛な看板はザルツブルグの名物。

f0062821_572995.jpg

f0062821_5302773.jpg


マクドナルドでさえ、
f0062821_593066.jpg

ちょっと気取ってオシャレなのだ。




主な見所はモーツアルトの生家。


今回は経由地のため行っていませんが、
ご多分に漏れず、どこにでもあるちっちゃ目のフツーのメゾン。

調度品等も展示されているので
一度は入ってみる価値はあります。




ここも外せない見所、丘の上にあるホーエンザルツブルグ城塞。
f0062821_512569.jpg



丘の上に見える中世の城塞へは、ケーブルカーで登って行くことができ
そのテラスからの夕日の眺めは本当に素晴らしいのだけど、

中世の城塞の中で毎夜、室内音楽のサロンコンサートを催していて
以前、気取って夜のコンサートを聴きに行ったのはいいが


首を左右に揺らしながら爆睡


周りから失笑を買うというトレビアンな経験をしたのはまさしく私。


・・・・・音楽の聖地で爆睡。

・・・・・なんてサザエさん。



そんなザルツブルグですが今回は遅めの昼食を取って
すぐに移動です。



次の目的地は
スロベニア、ブレッド湖です。

f0062821_542454.jpg

(ザルツブルグで見かけたヘンな乗り物。どーやって動いているのか不明)
[PR]
by miyu-sakura | 2008-09-03 18:35 | 今日の世界遺産
数ある世界遺産の中で、たった2つしかない「負の世界遺産」。


一つは広島の原爆ドーム。
そしてもう一つは、

アウシュビッツ・ビルケナウ - ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所。

1940年から1945年までの
6年もの間、ありとあらゆる方法で人を殺した、
ホロコーストの象徴である。


その内容は
あまりに悲惨で、
あまりに暴力的で、

ここを訪れることは一生ないだろうと思っていた。



実際に「その場所」を見ることが、

私や、私の家族の人生にどれだけ影響するのかを考えると、
行くことをかなり迷ったけれど、


ここを実際に見て、
おきてしまった事実を心に刻み付け、
忘れないように生きていくことが


ささやかな私にできる平和への貢献になると思えた。

私よりも、むしろ私の家族の心の、
ほんの記憶の片隅にでも残すべきことだと思えたのだ。

f0062821_438355.jpg

(死の門と呼ばれるビルケナウの門。シンドラーのリストで使われた)


日本人には、ドイツにあると思われがちなアウシュビッツ強制収容所は、

実は第二次世界大戦中、ドイツの占領地であったポーランド南部の、
古都クラコフより西に約60キロ
オフィシエンチム郊外に1940年に建てられた。


アウシュビッツは、ポーランド語オフィシエンチムのドイツ語の地名。


世界遺産に初めて登録された時の登録名は、
「ポーランド アウシュビッツ強制収容所」
であったが

この名称が、ポーランド人による強制収容所、
と誤解を生むとのポーランド側からの抗議により、

去年、
「アウシュビッツ・ビルケナウ - ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所」
と名称を変更された。


現在、ポーランドに訪れる人のうち、
かなりの割合が訪れる場所なのだが
ポーランド人にとっては未だに「負の遺産」。


ユダヤ人だけでなく、ポーランド人の戦犯も数多く処刑をされたという。



アウシュビッツには

ほとんどの建物や鉄条網が完全に残り、
博物館として整備・開放されている第一強制収容所と、

f0062821_4594438.jpg

(有名な、働けば自由になる、の門。Bが逆さまになっている)

f0062821_584527.jpg

(二重に張り巡らされた鉄条網には、高圧電流が流れていた)

f0062821_5103728.jpg

(レンガ作りの収容所、内部には山のような遺留品等が展示)
(この後どんどん収容者が増え、破壊された第二収容所ビルケナウは
木造の簡素なバラックでした。冬は零下15度にもなり凍死する人も)

f0062821_251121.jpg

(鉄棒ではありません。複数の人間を公開絞首するための棒)

f0062821_16361100.jpg

(この11棟の内部のみ、当時のまま保存されている。
生々しく汚れた牢獄、リンチや実験の現場でもありました。)

f0062821_2131075.jpg

(死体焼却所。毎日トロッコに山積みされた裸の死体が焼かれた)



死の門と呼ばれる終着駅とプラットホームが残り、
ドイツ軍の証拠隠滅のために、ほとんどの建物が破壊されてしまった
第二強制収容所ビルケナウと、

f0062821_5163883.jpg

(このプラットフォームで、女性・子どもと、男性は選別された。
さらに男性は、働ける男性と働けない男性に選別された。
女性と子どもは、その足でガス室へ送られる場合が多かったという)

f0062821_5213918.jpg

(服を脱がせ髪を切り、一度に2000人を殺したガス室跡。瓦礫の山)



解放後、ソ連軍によって完全に破壊された第三強制収容所モノビッツ
がある。


見学できるのは、第一・第二強制収容所で、
約2キロ離れた二つの収容所はマイクロバスによって結ばれている。



私たち家族は、
英語のガイドツアー(約3時間半)に参加したのだけど

私達のガイドさんは
確たる使命感を持って説明をしてくれた。



今回、こうやって書いているけれど、

この「負の遺産」の「圧倒的な数」は
とても私の筆力では語りつくせない。


展示された遺留品、
例えば女性の髪の毛であるとか靴であるとか
衣服やかばんや櫛や髭剃りといった日用品の「量」は、

多分、どの人の想像よりもずっと多い。


このアウシュビッツ・ビルケナウで5年間に処刑された人は
150万人とも200万にとも言われ
記録すら残されていない今、正確な数は把握できていない。



破壊された第二収容所の総面積にいたっては、
1.75平方キロメートル、東京ドーム約37個分といわれるほどの規模で、

一見すると何本もの背の高い木が風に揺れる、
見渡す限りの平原になっている。

f0062821_16401867.jpg


線路の最後には、
f0062821_2554796.jpg


f0062821_16434614.jpg

犠牲になった各国の言葉での慰霊の碑がずらっと並ぶ。



本当に私には、何も上手に書けないけれど

代わりに、ガイドの人が最後に何度も繰り返していた言葉を。


「今はここに何もない。けれど想像・・ただ想像してください。
ここで何が行われていたかを。」

「同じ過ちを、二度と繰り返さないために。」

f0062821_2561511.jpg

[PR]
by miyu-sakura | 2008-05-08 04:38 | 今日の世界遺産
今回、年末年始のバカンス・ド・ノエルがエジプト旅行だった。


実は年末というのは
エジプト旅行のトップシーズンなんです。


基本的に年がら年中晴れているエジプトでも


3月から5月には年に3~4回、どーしようもない砂嵐が吹くし
6月から9月はバカみたいに暑くて直射で45度を超える日もあるし


というわけで
10月から2月が旅のベストシーズンと言われている。



なかでも、欧州では年末は日照時間が極端に少なく
どんより暗くぱっとしない日が続くものだから

せっかくのバカンスくらい、

南の、多少でも温かいところに出かけたくなり、
アフリカ大陸に出かける人も多いのだ。



同じアフリカ大陸のケニアやモーリシャス諸島も大人気で
日本よりずっと近いこちらから行ってもなお、
もんのすごく高い。


ケニア一週間で・・・・1人40万ちかくする。



おおお・・・・・絶対一生行けない。



生ライオン、高すぎる・・・





で、エジプト。

ここも年末はトップシーズンなので普通のツアーに申し込むと高い。


でも、今回は、
ツアーコンダクターをしている旦那さまを持つお友達経由で
物価の安いエジプトの旅行会社に直接個人旅行を組んでいただいたので

トップシーズンのわりには、割安で行くことができた。
微妙に痒いところに手の届く親切な旅行会社サンだったし、
とってもとっても満足です。


ほんとにありがと~~~~☆






で、イスラム歴史地区。


観光客の溢れるハーン・ハリーリ市場
f0062821_1437324.jpg

1997年に観光客を狙ったテロがあったエジプト。
観光客がいるところ、必ずポリスが巡回しています。


ただ、このポリス、例外なく英語が通じない。

英語ができる人はきっと他の仕事についているんじゃないかと思う。
ポリスは、ほんとにどこにでも、山のようにいっぱいいた。

f0062821_1441278.jpg

この市場は、カイロの一大お土産センターなのですが

f0062821_1447822.jpg

どの店にも値段なんて書いてありません。

f0062821_1449296.jpg

はっきり行って気分は昭和の闇市廻り。

トルコのグランドバザールもかなり怪しかったけれど
ここは怪しいというより、人種が違うと言うか、星が違うと言うか

怪しさの格が違う。

キング・オブ・怪しい。
しかも、微妙にレトロ。
f0062821_419799.jpg

一歩足を踏み入れれば、ノスタルジー溢れる巨大迷路なのだ。

f0062821_1505527.jpg

必ずものすごく吹っかけてくるので、まずは価格交渉。
どちらかが根負けするまで、延々と時間をかける。

これが結構めんどくさい。

でも、思ったより安くなると思わずガッツポーズだけど。

f0062821_1521925.jpg

疲れたらカフェもあるのですが、このチャイ(紅茶)が
地元の店で飲むと高くても5パウンド(80円)なのに、
なんと12パウンド(200円)もする。

チャイすら、ぼるのだ。

f0062821_1574669.jpg

アラブの人は、浅黒く、目がぎらぎらしていて一見怖いのですが
意外とそんなに怖くはありません。
一応イスラム教徒なので、ムチャクチャなことはしてきません。
f0062821_15152720.jpg

ただ、誰もが例外なくぼろうとするので、油断は禁物です。





「カイロってほんとにスラムみたいだよね」


といった友達がいましたが
確かにこういうのをスラムっぽいと言うのかもしれません。



でも、

それでも

私はカイロが好きだな。



このパワーに負けないパワーを、体中から集めてくるのが、

忘れていた「生きるちから」っていう気がするから。




これからは、もっとシンプルに生きていこう

多分、本当に必要なものはそんなには多くはない。

f0062821_16303283.jpg

[PR]
by miyu-sakura | 2008-01-08 06:24 | 今日の世界遺産
お友達の旦那様がトルコに行った時、

夕暮れのブルーモスクで
大音響で響き渡るコーランの調べを聞いた。


その時、彼はこう思ったそうだ。

「ここにいるとやばい」。



なぜなら、

「ついうっかり、洗脳されそうになる」。

からだそうだ。



そうなのだ。
夕暮れに響き渡るコーランの調べは、どこか心に染みる。


今回のエジプト旅行でも、
毎朝と毎夕に響き渡るコーランの調べや
イスラムのモスクの厳かさにけっこうやられてしまった。


イスラムと言うと、テロ。
イコール危険因子。

そんなイメージが以前はあったけれど、今はイスラムの国々が結構好きだ。


どんな宗教にも、攻撃的な原理主義な人はいるし、
信じる気持ちが強いほど排他的になるとは思う。


けれど、少なくとも私の出会ったイスラムの人々は
普通に穏やか日々の暮らしの中で
イスラムの教えを守っていた。


・・・多分、だけれど。





ピラミッドで有名な、エジプト、カイロ。


ピラミッドは当然世界遺産なのだけど、

実は「カイロ、イスラム建築群」も世界遺産に指定されてて
その数は300を超える。
1000のミレット(尖塔)を持つ都市なのだ。


カイロは、「世界の母」と言われるイスラム最大の都市で、
現在エジプトでは人口の9割がイスラム教徒である。
f0062821_4485218.jpg

カイロ、イスラム地区の高台にそびえるモハメド・アリモスク。


ここはイスタンブールのガーマをまねて作ったらしく、
内部はかなりイスタンブールのブルーモスクに似ていた。
f0062821_4523432.jpg

ここはちょうど夕日を正面に受ける位置に立っていて
f0062821_454213.jpg

夕暮れ時は、モスク全体が黄金色に輝くという。


モスクの前庭からは、カイロの町と
遠くに霞むギザのピラミッドが見える。
f0062821_1532168.jpg

手前の三角が、有名なクフ王のピラミッド。
ピラミッドは、町のすぐ横にあって、砂漠のど真ん中にはない。




f0062821_4583913.jpg

世界最大級のイスラム建築のガーマ・スルタン・ハサン。

屋外の中庭にも数十のランプが下がるあたりは
さすが、雨の少ない都市ならではだろうと思う。

f0062821_15364012.jpg

前出のモアへドアリモスクはどちらかと言うと例外で
こんな無骨なモスクがカイロには多い。
f0062821_15431352.jpg

このモスクはイスラム建築には珍しく装飾に金銀が用いられている。



イスラムの文化を伝える世界遺産イスラム地区は、
カイロ市のやや東側にあり、多くの観光客の訪れる場所でもある。

モスク以外にも、
400年を超える歴史のあるハーン・ハリーリ市場などがあるけれど、


でも、とりあえず、次回・・・。



もう8回くらい洗濯機を回しているのに、
たまった洗濯物が終わらないんです・・・・

なんといっても一日の気温が、0度から22度。
Tシャツからセーター、上着に毛布まで持参でしたから・・・


楽しんだあとには、きっちり現実が待っている。
とほほ・・・・・・・
[PR]
by miyu-sakura | 2008-01-04 00:54 | 今日の世界遺産

EGYPTより

昨日の午後のこと。
カイロ国際空港より私たちを乗せたエジプトエアーは飛びたった。


私の住むこの北の町までの、約5時間の飛行時間で
すべての価値観が変わって行く気がした。




アフリカ大陸一の大都市、大カイロ。
なんと人口は1200万人。
東京都に匹敵するほどの人口を抱える一大都市で。



そこには、ものすごい喧騒と混乱があって、
人々は大声で喧嘩をし、クラクションは町中で鳴り響き
信号は無視をされ、車はわずかな隙あらば割り込んでくる。


町のあちこちには拳銃を持ったポリスが立って、
どこへ行くにも検問があり、ホテルに入るのでさえ金属探知機をくぐる。


道路の向こうに渡る時は、けして速度を落とさない車の間を、
縫うようにして一車線ずつ走って渡る。
中央分離帯に立つ家族連れに、車は容赦なくクラクションを鳴らす。


ナイル川は、この上なく澱み、ゴミも浮き、川幅も思ったよりずっと狭く。
ナイル川より引いてる水道の水は、
溜めると透明ではなく薄い黄土色で、この水を飲むとひどいゲリをする。


年間25ミリしか降らない雨と、いたるところで行われてる工事のため、
常に町中に砂埃が舞い、髪の毛は常にバリバリになる。


タクシーや馬車の客引きは、しつこく何人もつきまとい、
みやげ物を手にした売り子は歩いている目の前に立ちふさがり
通り過ぎる腕を掴む。


自分でトラムに乗ろうとすると、停留所と思われる場所には時刻表はおろか
路線図すらなく、唯一掲げてあるプレートには小さなアラビア語の地名だけで。


バスもトラムも人々の乗り降りがしやすいように常にドアを開けたまま走り
10年以上前に廃車になって然るべき車には、定員オーバーの人が詰め込まれ
ロバの牽く子どものオレンジ売りの車と車線争いをする。


売店でビールを買っても、日本人と見るやお釣りをごまかそうとするし
普通の人には英語は全く通じず、値段もすべてアラビア語。
物売りは大声を張り合げ、買い物はすべて値段交渉から始まる。


どんなトイレにも、入り口にはトイレおばさんがたち、
一回ごとにトイレットペーパーを配っては、0.5か1パウンドをせびる。
基本的に、どれだけ掃除してあっても、清潔とは程遠い。


観光客の押し寄せるピラミッドや博物館には、
現地の物価に対してびっくりするほど法外な入場料がかかり、
乗ったら最後下ろしてくれないらくだ引きや、悪徳なガイドがうろつきまわる。



・・・それがエジプト。




今こうして、砂埃のない氷点下の静かな北の町にいると
この同じ空の下、同じ時間に、あの喧騒の町があるとは
知ってはいるけれど、実感できない。

私の目や耳はここにあり、
私は同時に二つの世界に立つことはできないのだから。





昔読んだ、
リチャード・パックの「ONE」のように
今この時間に、もう一人の私がカイロに留まっているのであれば
どれだけうれしいだろう。




喧騒と混乱が溢れるエジプトには、


15円で飲める生のジュースや、30円で食べれる昼食や
30円のチップに大喜びをするポーターや
40円で食べれるニューイヤーケーキがあり


ロバや馬にのった12.3歳の子ども達は、
豊富な日光を浴びた南の果物を台車に山積みにして市場に向かう。

人々は必要な分だけ物を買い、必要な分だけ物を食べ
屋根のある寝る場所と、たくさんの家族に囲まれて
イスラムの信仰を守りながら、暮らしている。




エジプトでは

人間が生きる、ということが
とてもシンプルで、とても力強い。








たった8日間だったけれど、
今、エジプトがひどく懐かしい。

f0062821_2037823.jpg

[PR]
by miyu-sakura | 2008-01-02 20:38 | ちっと旅ガラス
繰り返すようだが、

私はへんなところが好きだ。


フランスに現在29ある世界遺産だけど
その中でも、特にマイナーで、あんまり知られていない
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
f0062821_2304816.jpg

(サン・ミッシェル岩山の頂点に立つサン・ミッシェル・デギレ教会)

私がその名を初めて知ったのは
2002年のTV「世界遺産」。

まだ、日本に住んでいた頃で、
私にとってフランスは遠い、遠い異国。

いつか、もしできるならば、
その街道を訪れてみたいと、
ずっと思っていた。

それは、ほんとに叶うはずのないあてのない夢だったのだけど。



サン・ジャック・コンポステル街道とは

フランスの4つの町を起点にする4つの巡礼路が
険しいピレネーを越えて一つになり、

スペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで続く、
1500キロにも及ぶキリスト教の巡礼路。

キリスト教の三大巡礼路のひとつである。



私がTVで見たのは、その中でも、特に険しい
中央南フランス、四方に山に囲まれたル・ピュイ・オン・ヴレを起点とし、
小さな村々を巡礼するル・ピュイの道である。

f0062821_2364970.jpg


赤屋根の続くル・ピュイ・ヴレは、町のど真ん中に
f0062821_622615.jpg


それぞれ頂上に
赤い聖母像が立つコルネイユ岩山と
ミッシェル・デギレ教会が立つサンミッシェル岩山が
向かい合ってそびえたっている。

f0062821_23145861.jpg


2つの奇岩の間は徒歩で20分ほど。
それぞれ、徒歩で頂上まで登ることができる。

f0062821_613329.jpg

赤い聖母像のふもとには、ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂。
f0062821_23284871.jpg

巡礼地の出発地にふさわしい、厳粛な教会である。
f0062821_23384431.jpg

聖堂前の階段には、巡礼のしるしであるサンジャック、すなわちホタテ貝と
ユネスコの世界遺産をしめす案内が。


背後の赤い聖母像は、
f0062821_6134549.jpg

1860年のクリミア戦争で
ロシアから奪った大砲を鋳潰して作ってある、フツーに鉄製の像。
なので階段も鉄製。
f0062821_23203277.jpg

外側の神々しさとは裏腹に、中は意外とそっけない。


その赤い聖母像と対するのは
f0062821_626545.jpg

268段の階段を登った岩山の頂に立つサン・ミッシェル・デギレ教会。
f0062821_6142994.jpg

[聖遺物を拝するこの小さな教会、簡素なロマネスク教会である。
f0062821_6153075.jpg


この2つの奇岩の頂から、
1500キロもの巡礼の旅は始まるのだ。
f0062821_6155559.jpg



この奇岩を抱くこの町は、
フランスの南西、中央山岳地帯のど真ん中にある。


クレルモン・フェランからも、リヨンからも
どこからでも高速道路のない山を越えなくてはならない。


私たち家族はこの後、

標高2000メートル級の、くねくね曲がった山道を2時間走り、
車内には、車酔いによる死亡者が続出。

一番年若の者から順に
シンガポールのマーライオンもびっくりの状況となり、

車内には、す~~~っぱいカオリが充満。

汚れた洗濯物とともに、半泣きになりながら
帰ってきました。



聖地ってのは
簡単に行けないところが聖地たる所以だ、

と、カラダに叩き込まれた旅になったのでした。
[PR]
by miyu-sakura | 2007-11-19 23:03 | 今日の世界遺産
先回、イスタンブール歴史地区の旅行記を書きましたが、

今日になって、
ブルーモスクとグランバザールを書いていないことに気づきました。


ブルーモスクとグランバザールは、
どんなに短いツアーでも行程に入るすんごい観光名所なので、
コレを書かないと、イスタンブールじゃないかも。

f0062821_583153.jpg

5月のスルタンアフメット・ジャーミィ。
通称ブルーモスク。


6本の尖塔を持つのは、ここ、ブルーモスクだけなのですが、
外側から見ると、青くありません。


実は、この丸いドームには260以上のステンドグラスの小窓があり、
そのため、館内が明るく、淡く照らされている。
f0062821_5442339.jpg


ドーム内は、青を基調とした2万枚のタイルが張り巡らされていて
ステンドグラスからの光と相まって、

一歩その中に入ったその瞬間、
館内が淡い青色に浮かび上がって見えるのだ。

f0062821_634272.jpg


モスク内は、敬虔な信者さんの祈りの場でもあるため
女性が入場の際は、頭にスカーフを巻かなくてはなりません。

持っていない私には入口でブルーの布(スカーフでないところがポイント)
が手渡されるのですが、この布がまた・・・・・


くさい。


イスタンブールは水が豊富な地域で、

信者さんはモスクに入る前に、
モスクの外側にずらっと並んだ手洗い場で
頭から手足まできれいに洗っているはずなのに、


くさい。



ひなたのイヌの足の裏のような、乾いた草のようなかぐわしさ。


まあ、トルコですから。
夏は40度ですから。


旅行の記憶って意外と嗅覚と結びついていると思うのですが
イスタンブールのニオイといえば、真っ先に思い出すのがこのニオイ。

ニオイフェチのかた、ぜひどうぞ。
f0062821_6395912.jpg

(夜のブルーモスク。ライトアップで浮かび上がります)


で、
グランドバザール。
f0062821_55302.jpg

ここはかなりツーリスティックです。

日本人・韓国人・欧州人・米国人、みんな手に手にカメラを持って
土産袋を片手に闊歩しています。


とりあえず店数はあるので、安い店を探そうと思えば探せるのですが
なんといっても価格は時価

がんばって値切っていけば
最初に言われた価格の2/3から1/2くらいに落ち着くとは思うのですが
たくさんある店で、どの店でも価格交渉していると
はっきり言って、めんどくさくなる。
f0062821_6503451.jpg


だいたい、歩いているだけで
「ミルダケ、タダ」とかさんざん声をかけられるし、

「アッ、ナニカ、落トシタヨ」といわれて振り返ったら
「カイモノ、ワスレテイルヨ」とセールスされるし。


友達は以前、
ミヤサコ、デス!」(手の振りつき)と声をかけられたというし、

だんだん巧妙になるので歩いていても疲れる。
f0062821_625032.jpg

トルコ名物のペルシャ絨毯は
16歳から20歳の女の子たちが数年にわたって織った、
(手の大きさがそろっていると織り目がそろっているという理由らしい)
とか言うものになると軽く100万とか150万とかそんな値段がついています。


「絨毯屋の呼び込み、すごいから気をつけなよ」
って言われていましたが、

・・・・あんまりしつこくされませんでした。

・・・・途中で、こいつら金ねえなあ、って顔されるのって

日本人として、どーなんでしょうか。



最後に、イスタンブールに200以上あるといわれるモスクですが
私が一番好きだったのはこの、
f0062821_6132933.jpg

私が乗った連絡船船着場近く、ガラタ橋のふもとにあるイェニ・ジャーミィ。

規模こそブルーモスクには遠く及びませんが
上品な色使いや、観光客のいない厳かさが、遠い異国を思わせます。

特に、
夕日を背に浮かび上がるイェニ・ジャーミィのシルエットは
遠く手に取ることのできない天上の神がまさにそこにいるようで、
ため息が出るほど、美しい。
f0062821_62878.jpg

(陽が落ちてしまってからのイェニ・ジャーミィ。
夕暮れは、もっともっとキレイです)


あと・・・トルコには旋回舞踊なるものがあって
f0062821_6354887.jpg

この体勢のままぐるぐる回り続ける。

多分・・・3分ぐらいは回っていたと思うけど
見ているほうが、大丈夫かしらと手に汗を握ります。

確かにすごいんだけど
ほんとにただ、回っているだけなので

・・・だんだんみていて飽きるところが難点。

・・・すごい宗教的な伝統舞踊ナンだけどね。


ためしに私も回ってみたら、意外と回れました。

皆さんもぜひ一度回ってみてください。
[PR]
by miyu-sakura | 2007-08-30 05:10 | 今日の世界遺産